活動概要

主  催  大谷大学教職員有志
協  力  大谷大学・大谷大学短期大学部/真宗大谷派(東本願寺)現地復興支援センター

臨時便

今回の活動で、実際の被害の状況を体感出来ました。言葉にならないと云われる事がよくわかりました。復興までには20年はかかるだろうと現地の人が言っていました。1番大事であると感じる事は、被災し無かった僕が、なかったことにしないということです。それは、関心を絶やさない事であると思います。そして、それは大変難しい事でもあると思います。何が出来る、少しの作業しかできなかった、と思うところはあります。実際には無力感しかありません。しかし、ここで感じたものが、「無かった事にしない」その原動力になっていくのだと思います。また、なにより人との繋がりを感じられた活動であったことが、僕は嬉しかったことです。
<修士:男>


-----------------
テレビで被災地を見る場合にはとても他人事の様に感じられました。ですが実際に自分の感覚を通して感じることにより他人事では無いと考えさせられました。 沢山の家が人の住めない状況になっていたり、何とも言えないきつい臭いがあったり、無造作に置いてあって持ち主が分からない物がありました。他にも本来、住宅街には響いているはずの生活音が全く無く、非常に不気味な印象を受けました。短い間で何も出来なくて悔しい思いでいっぱいになりました。夏休みに微力ですがまた協力したい、と思えました。そして受け身のままの学生では感じられない気持ちを得られました。
<2回生:男>


-----------------
今回参加して現実を見せつけられました。倒され流された家屋が今もすごい臭いと共に残っています。家を貫く大木、窓から飛び出たピアノ、止まった時計どれも目をつぶりたくなるよーな景色でした。

その荒れ果てた環境の中で小さな紫の花が元気に咲いていました。
その時にこの花は東北の方々やなと思いました。

なぜかというとお店を壊されたおじさんが黙々と掃除しながらカウンターを作り直している姿、
「津波の被害にあっても大工さんが早急に直してくれたから今の生活ができてる」と話してくれたお母さん、自分が予想してたより普通の生活を送っている町並みを見聞きしたことからどんな状況であっても人と人とが協力しながら復旧させている姿を見ていたので花を見た時に環境に負けない姿が重なって見えました。

現実を見てきた私が今後できることと言えば募金やボランティアといった実務的なことはあると思いますが、それよりもこの震災を風化させないことと将来自分の子どもや孫の後世に伝えていくということだと思います。

復興も気持ちも継続です。

このような様々な考えや現地の方々の笑顔に元気をいただけたことに感謝します。
参加できる状況を作ってくださった本山や大学関係や仙台教務所の方々、仙台の人々、そして同行してくれた仲間、本当にありがとうございました。
<修士:男>
-----------------
今回ボランティアに参加させて頂いて私達ができた力の小ささに驚くとてもショックを受けました。そんな中、石巻市の方々は毎日毎日作業をされていると思うと石巻市以外の少しでも多くの人が長くボランティアを続けなくてはいけないと感じました。そこで自分にできる事はたくさんの人に伝え、そして自分自身継続していきたいと思いました。今回貴重な体験をさせて頂きありがとうございました!
<2回生:男>


-----------------
僕の実家は東海地震が起きた場合、海抜ゼロメートル地域で津波が来たら浸水する場所にあります。
ですが、この東北で起こったにも関わらず訓練もしない状況です。なので親や近所の人にこの経験を伝えたいと思いました。

あと、皆さん少しのことしかできなくて残念などと言っていますが、ぼくは一人の人が現地に行き作業をしたらとても大きなことだと思います。確かに全体に比べてやった量は少しですが、今終えてみてとても興奮しています。気持ちでは本当に本当にとどまりたいと思いました。また行く機会があれば日本人として大きなことをしに現地に行きたいと思いました。ぼくは、今他にもボランティアをやっていて、ますますやる気が倍増しました。

ありがとうございました。
<1回生:男>


-----------------
規格外の高齢者を活動に受け入れて頂いて感謝しています。
百日経って、戻る生活と、何にも変えようのないことの方がはるかに多い、そして百日前に絶たれた生活があったことを、今日、自分の目で見た。そのことを大事にしようと思っています。
<2回生:男>


-----------------
今回この活動を通して初めに思ったのが、建物が全壊、半壊しているような場所から海が全く見えなかったということがとても衝撃的でした。その場所から海の気配さえもないのに、あれだけの被害があるということが私にとってはとても怖かったです。私に出来ることはとても小さいことでしょうし、何が出来るかも分かりません。しかし、私にしか出来ないことがどんなに小さくてもあると思いました。大学生活の中においても自分のやるべきことが必ずあると思うので日頃から一生懸命自分の出来ることをボランティアや支援活動、義援金、支援物資などはもちろんやれることをやろうと思いました。そのためにはまず感心を持つことが一番大事だと思いました。
<3回生:女>


-----------------
今回の東日本大震災復興支援のボランティアに参加して、移動中のバスからの景色、活動場所の景色をまずはじめに見て感じたのは、自分が思ってる以上に片付いてるな、という印象だった。しかし、特に被災の大きい場所を目にして、自分が見たのはごく一部分の範囲だったんだと強く思ったと同時に、様々なたくさんの人の助け合いにより僕らが活動した場所は片付いたんだ、という思いに気付かされました。また、僕らの活動中では、たくさんの人との助け合いが印象的だった。日常では、「私は私」「あなたはあなた」とどこか一線を引いてしまっているように感じる。震災復興では、様々な人との助け合い、人と人との助け合いということを、今回現地に足を運び、本当に強く心に感じることが出来た。
このような思い、ボランティアの経験、現地の状況をたくさんの人に伝えていくことがまた、復興に繋がるだろうと思う。
今回はたくさんの方の支援の元、ボランティアに参加させて頂き、色んなことを感じることが出来ました。本当に心から深く感謝します。
<4回生:男>


-----------------
今回のボランティアで初めて仙台、石巻市に行きましたが、メディアで報道されていること以上の被害の様子で驚きを隠せませんでした。
私達の活動内容は側溝の泥を取り除くということでしたが、側溝に溜まった泥や浮いている油は当時の被害の大きさをとても物語っていました。約3ヶ月経った今でもこれだけの量が残っていて、絶えず異臭を放っているのか、と思うと表現できない感情が込み上げました。
今回そういった中で地元の人達とのふれあいも多く、人間の本当の温かみというものを感じました。
小さなことしかできませんでしたが、継続することがなによりだと思います。
被害の大きいところも見に行きました。当時の生々しい傷痕がそのままの形で残っていて、何も言葉がでませんでした。16時ちょうどを指したまま止まってしまった時計や、保育園にあった破れた似顔絵など、言葉はでませんでしたが、涙だけが込み上げてきました。
今回のボランティアを通して、継続していくことと、意識し続けていくこと この2つが大切だとおもいました。
皆の意識が薄れていくことが一番危険だと思うので、これからはもっと多くの人にこのボランティアを通して学んだこと、感じたことを広めていきたいと思いました。
<1回生:男>


-----------------
震災ボランティアに参加して
今回ボランティアに参加した2日間はとてもあっという間でした。
作業時間は短くて、お手伝いできたことは小さいことかもしれませんが、実際現地に行って少しでも関わりを持てたことに意味があるのかなと感じました。
被害状況は地域によって様々で、今回作業した地域は割と通常の生活ができてるように感じましたが、この3ヶ月間多くの活動がされてからこその今があるんだなと思いました。
しかし1回目で作業された場所に行くと、被害の大きさに言葉が出ませんでした。
この震災のことをずっと忘れずに、できることをやって行きたいです。
また、このボランティアの企画、支援、お手伝いをしていただいた先生方、事務の方、運転手の方々、仙台別院の方々などに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
<3回生:女>


-----------------
お疲れさまです。
ボランティアに実際参加できるまで、3ヶ月近くの時間がかかりました。自力でボランティアに行くほどのお金も体力も、決断力もありませんでした。
それでもこれまでに、この震災についてたくさんのことを考えてきました。
実際参加して感じたことは、被害の大きい小さいは、外見や被害額などで比べるべきではないということです。
大切なものを失った方のつらさを、客観的な視点で比べることに意味はないと思いました。
震災の被害者は、現地の方だけではないと思います。日本中の人が被害者ではないかと感じました。
東北や北関東の方々は、厳しい現実と対峙しながらも、日常を取り戻そうとしています。私は学生としての日常に戻りますが、この3日間で感じたことを、忘れずに生活を送りたいと思います。
無理はせず、私たちにできることを少しずつ見つけ、実行してゆきたいです。
<3回生:女>


-----------------
今回ボランティアに参加させていただいてテレビや新聞で見る震災のニュースでは感じることのできない体験に言葉が浮かびませんでした。
活動を通して、耳、鼻、目で感じたことは忘れることができないと思います。
ほんの少ししか私は活動に参加出来ませんでしたが、このような活動をこつこつと行うことにより、東北がもとの姿にもどると信じています。なのでこれからも関心を持ち続けていき、自分の出来ることから関わっていきたいです。
私事ですが、少しでも東北を関西から元気づけたいと思い神戸マラソンに出場することを決めました。今回の震災のチャリティマラソンなので、私たちのエールを東北に届けるためにも完走出来るようにがんばりたいです。
<2回生:男>



-----------------
今回2回目で参加させていただきました。
今回の作業は側溝ということで、作業の音を聞いた地域の方が出てきてくださり、一緒に作業することができました。作業としては、ほんの些細なことですが、現地の方と関わること話すことができたのは、私にとってかけがえのない経験になりました。
作業終了後、一番気になっていた前回の活動場所にいくことができました。正直、もっと復興に近づいていると思っていました。私達が作業させていただいた酒屋さんが、また再開に向かっていらっしゃるのを見て、とても嬉しく思ったと同時にその回りのマンションは私達が作業したまんまで、住宅もほとんど変化がないことにすごくショックも受けました。
酒屋さんとお話させていただき、数百メートルほどのところでまだ遺体が発見されたという話も聞きましたし、これから街がどうなるのかという話も聞かせていただきました。写真も快く撮らせていただき、これを通してたくさんの人に伝えていってほしいとおっしゃっていました。
私ができたのは、ほんの些細なことですが、そのことをたくさんの人に伝えることで、みなさんが何か動いたり考えたりするきっかけになることを願って、また、忘れさられてしまわないように、精一杯伝えていこうと思っています。
この状況を知り、もっと自分にできることをしたいし、少しでも役に立ちたいと思いました。
自己満足にすぎないと思いますが、また機会をつくって行こうと思っています。
本当にありがとうございました。
<3回生:女>

-----------------
今回の復興ボランティアに参加させてもらって、僕は復興ということの大変さ、重さを感じ、自分がこのボランティアの経験から、これからできることが見つかったと思います。
2日目の後半に行った被害の大きかったところでは、先生方もおっしゃっていたように今日、明日で済むような被害の状況ではないと思いました。家が傾き、中は家具が泥だらけでぐちゃぐちゃの 光景に地震、津波の恐ろしさを肌で感じ、この場に自分が立っていることが不思議なぐらいでした。このことからも復興というのは、人と人が協力し、時間のかかるものなんだと思いました。
将来、小学校の教師となったら子どもたちに撮った写真など見せ、感じたことなど聞いてみたいと思いました。そうすれば、今日おっしゃってらしたような次の世代へ伝えるということができると思います。
この4日間色んな人に支えられて、このような貴重な体験ができました。ありがとうございました。
<1回生:男>



-----------------
2日間、お疲れ様でした。
今回初めてボランティアに参加させていただきましたが、実際に活動を行ってみて、自分たちにできることというのは本当にわずかなことだと感じました。活動期間が2日間だけではとても足りない。皆さんが仰っていたように継続するということが本当に大切だと私も思います。
今回、現地に行ってみて、大谷大学以外の団体もたくさん来ていました。地域も本当にバラバラのところから集まっていました。それを最初見たとき、人と人との繋がりというものがとても温かく、また力強く見えました。
しかし、あれだけたくさんの人たちが動きながらも、3ヶ月を過ぎた今でも、まだ手付かずの地域が多くあるということ。そこにどこか私たちにできることの小ささということを思い知らされたように思います。復興には、まだまだ人数も労力も時間も必要だと思います。しかし、私たちにできる小さなことの積み重ねがもとの宮城県、東北への復興につながるものとなると思います。
また、感想の中に関心を持つということがありましたが、私は実際に被災もしていないし、被害も受けていません。実際に現地に行かなければ本当にどんどん関心がなくなり、他人事になっていたと思います。大変なことが起きたと知っていても、わかっていなかったんだと感じました。TVなどの機械を通してではなく、実際に現地に行き、自分の五感で感じた東日本大震災は今まで自分で見てきたものと大きく違い、様々なことを考えさせられました。
実際に現地に行き、感じたことはたくさんありますが、それを自分自身で整理し、言葉にするにはまだ時間がかかると思います。
しかし、この経験を決してただの経験で終わらさずに、今後伝えていきたいと思っています。
大谷大学でこのような機会を作っていただき、本当にありがとうございました!!
<4回生:男>



-----------------
まず、もう一度参加できてほんとにありがたい気持ちです!
一回目いくときのバス中の気持ちは、もう三カ月やし、だいたい復興してるんだろなと思っていたわたしは、一回目行って衝撃な光景で、ほんと、おどろくというか、日本ではない!と、状況を現実と認めることができませんでした。
しかし、現地の人の話を聞いたり、状況をたくさんみたりしてるうちに、私たちは2日間という短い時間だけ向き合うけど、現地の人たちは20年後、30年後と向き合って行かないといけないんだとわかり、2日間でわかったことや、感じたこと、肌で感じたことを「伝える!」ということが、いって来た自分の使命やと思います!だから、絶対にもう一回またもう一回行って、この地震のことを、忘れられないよーにたくさんの情報を伝えたくて、臨時便も参加しました。

そして臨時便の時は、バスの中で、あれから、一ヶ月何かかわったんだろうか、人は増えて、すんでいた人と会えるかなっとか、いろんな思いがありました。けして、もう復興したなど思いませんでした。
もう4ヶ月
まだ4ヶ月!
また私たちが2日間行ってできる事は少ないかもしれない!けど状況はちゃんと伝える!
四ヶ月になってわかったことも出てくるかもしれない!と思い心に決めて行きました。
様子は一ヶ月前とは家具が少しなくなったくらいで、まだ家具がなくなってないとこもあり、正直何も変わってないのと一緒なほどでした。
今回は全く違うところをして、前とは臭いや、様子はまったくちがうかったし、津波の襲われた内容も違うかったようだが、けして、軽い被害ではない事が伝わり、また現地の人と作業をすることができたので、改めて、自然の恐ろしさを痛感しました。
臭いもマスクをするほどでもなかったし、いつかひどい地域も復興する!!とわたしは強く感じました!
だからこそ、多くの人がボランティアにいって、ちょっとずつでもいーから助け合ってほしーです。
ほんとにボランティアにいくだけで、いろんな人に伝えることができます!復興ボラを終って帰ってきた朝、朝から小学校のボランティアがあり、子どもたちに、伝える機会を作っていただいて、伝えることができました。当たり前に暮らしてることは、けして当たり前ではなくて、家族、先生、友達が生きていて、楽しく暮らしたり、勉強してることに、感謝してすごしてください。と伝えることができ、子どもたちも、考え方が変わってくれるやろーし、わたしも伝えれた事で、考え方を変える事ができました。
だから、わたしはまた夏に電車でいって、ボランティアを重ね続けて行きたい!
人は、1人では絶対に生きていけないし、助け合うってことが人間だからこそできることやと思います!
<3回生:女>


-----------------
復興支援ということでボランティア活動に参加し、石巻まで行きましたが、振り返ってみると、結局は自分のためだったのだと思います。報道される被災地と、自分の感情の間にあるギャップを埋めたかったんですね。
でも実際に行ってみても、ギャップは埋まるどころか逆に大きくなった。そう感じます。
二日間の活動を通じて見ることのできた地域、知ることのできた情報というのは、この震災の被災地のうち、本当に限られたごく一部でしかありません。そう感じたのは、もう帰りがけ、仙台の町を歩いていたときのことでした。石巻では目の前にある作業をこなすので精一杯だったこともあります。同じような状況の場所は、太平洋岸には多くあるかと思いますが、僕の想像力ではカバーしきれないというか、石巻の一部の被害ですら想像を絶しています。
そこで思うのは、僕一人が被災地に行って何をできたのか、ということです。側溝に溜まったほんの少しの泥を掻き出すのにさえ苦労している有様で、自分一人が何をしても無意味なんじゃないのか、とも思いました。現地に住んでいる方にはお礼を言って下さいましたけれども、逆に申し訳なく感じるばかりでした。結局、ボランティアと言ってやってきたのは自分のためでしかなかったんじゃないかと思います。
作業の後、被害の大きかった地区に行きました。言葉にならないというのは本当にこのことで、道は綺麗になっていましたが、家などは恐らくほとんど手の着けられていない様子だったように思います。本当に自分は何をしに来たのだろうか、何をできたのだろうかと考えました。
壊れた町を歩き回っているとやたらに気が滅入るので、僕は早々とバスのところまで戻りました。
近くに、前に話で聞いた保育園がありまして、中に入ってみました。床に溜まった泥は乾ききってひび割れていました。その中に、園児の遊び道具や書類などが埋まっていました。壁を見てみると、「今月の誕生日」と書いてある紙が貼ってあり、一緒に園児の名前が何人分もありました。僕の通っていた幼稚園にも同じようなものはありましたし、最初は特に何も思わず、ただぼーっと見ていたのですが、ふと気付いてみれば、これは三月が誕生日の子供たちの名前なんですね。この保育園は、四ヶ月前からずっとこのままだったんです。当たり前のことなんですが、僕はそこで初めて、そのことを意識しました。あまりセンチメンタル過剰になっても仕方ないので、通っていた子供たちがどうなったのかは考えないようにしましたが、楽しいことにはなっていないだろうな、とは思います。この土地に戻ってくることもないかも知れません。子供だけでなく、そこに住んでいた人のうち、どれだけの人が戻ってくるのか、いつになれば戻れるようになるのか、元の町のようになるのか。そういったことをつらつらと考えたりしたわけですが、そうは言っても、僕がいくら考えたところで、何になるわけでもありません。
多分、あの地域もこれから復興が進んでいくかと思います。ボランティアもまだまだやって来るかと思います。そうでなくてはならないとも思います。現地では、ボランティアの人を多く見かけました。大学生やら高校生やらNGOやら個人で来た人も中にはあるかも知れません。自衛隊や業者の方は、これはお仕事ではありますが、目的は同じだと思います。本当に多くの人が、石巻に限らず、東北のあちこちで活動を続けているわけです。僕は今回その中の一人として、微力もいいところとはいえ活動に参加しましたけども、考えてみると、個人たった一人がどうこうというのではなくて、多くの人が集まるからこそ大きな力になるわけです。多少の個人差はあるとして、一人一人の力は所詮小さなものです。けれど、その小さな力が集まって初めて大きな力になるんだと思うわけです。現地に入ってまず思ったのは、結構平和、というか、大したことないのかな、というものです。道は綺麗だし店も開いている。すでに三ヶ月、四ヶ月経っているのですから、まあ復旧は進んでいたわけです。しかし、この状態になるまでにはやはり、多くの人が震災直後から様々に活動してきた結果なんですよね。後からやってきてみれば、当たり前の光景のように見えますが、そうした光景は独りでに実現したわけじゃない。自然に戻ったわけじゃない。まあ、そういうことを思いました。
纏まりなく乱雑な文章で恐縮ですが、今のところ考えられるのはまだこんなものです。
<3回生:男>


-----------------
今回、ボランティアツアーに参加させて頂き誠にありがとうございました。今回参加する中で、自分自身が「関心を持ち続ける」ことの大切さを学ばせて頂きました。
新聞やテレビ、雑誌などでは、震災の数日間に比べてどんどん取り上げる量や時間は少なくなってきている中で、実際自分の目で見た現地の状況はまだまだ復興には程遠いものであることを目の当たりにする機会を得ることが出来ました。
今回のボランティアに参加して、現地でほんの少し活動をして、自分などは大した力にはなれなかったけれど、関心を持ち続けることの大切さを学ばせて頂くことが出来たのが、自分の中での大きな成果だと思っています。
これからも、この大震災に「関心を持ち続け」て、自分の中で出来ることを積極的に継続して行動して行きたいと思います。またこのような機会があれば、率先して参加させて頂きたいと思います。
今回は、貴重な機会を与えて頂き、誠にありがとうございました。
<職員>


-----------------
この度の東日本震災復興支援ボランティアに参加させていただき、ありがとうございました。

3月11日の地震発生以降、新聞テレビ等で連日報道されている状況を見ながら、自分にも何かできることはないのだろうかという想いを抱えていた時、このような機会があることを知り、参加申し込みをさせていただきました。

今回のボランティアに参加して、強く印象に残ったことがあります。それは現地の復興のボランティアをされている方が、今回の私たちの作業担当地域について、「この場所がここまでになったんだ、、、」と漏らされていたことです。

今回、作業を行ったところは、日常の町並みと何ら変わらない印象を初めは持ちましたが、実は「津波(大人の首の高さ)の被害により道路は流れてきた様々なものによって埋め尽くされて、目の前のコンビニも二度と営業できないと思っていた」と話されていました。その話を聞いて、自分たちがこの場所を訪れるまでにたくさんの人たちの苦労があったのだということを思わされました。また、ひび割れて壁が崩れそうなアパートや一階が住めなくなっているマンションや家屋、営業を行えなくなってしまっているお店などが目にとまり、ここにも日常の生活を奪われた人たちがたくさんいるのだということを実感しました。

2日目の作業終了後、第一便の作業現場を訪れました。訪れた酒屋さんの話では、一週間前に、近くで新たに三人のご遺体が見つかったそうです。

ここに住んでいた人たちはいまどうされているのだろうか、、、。

自分が目にした状況について何を語ればよいのか、言葉がいまでも見つかりません。ただ、その状況を見ることができたことで、今回の作業現場の地震発生時の状況を少しだけ具体的に想像することができました。新聞やテレビの報道では、被害の大きいところがクローズアップされがちですが、被害程度の違いに関わらず、日常の生活を奪われ、命を奪われ、大切なものを失った方々がいるのだということを思うと、まだまだたくさんの人の手が必要なのだということも実感しました。

京都に帰ってきて、この文章を書いていますが、今回訪れた地域だけではなく、東日本のそれぞれの地域において、いまも津波、原発など震災の影響を受け、不安な想いを抱えながら暮らしている人がいることを胸に刻みたいと思います。
<教員>

-----------------
≪2日間のボランティアを終えて≫
私たちが作業をした現場は、被災の後がところどころに残りつつも、住民の方々の生活もかなり戻っているように一見思えた地域でしたが、現場を通りがかった方に被災時の様子を聞くことができましたので、ここに書きとめておきたいと思います。

津波が来た当日は、
「10メートルの津波が来るよ! お婆ちゃん、すぐ逃げて!」
と孫が家に飛び込んできて、家の鍵も閉めず、
近くの安全そうな消防署に逃げ込んだということでした。
結局そのあたりは波が収まっても90センチの高さまで水位が残り、
家屋の2階に逃げた人たちを、自衛隊のボートが救助して回っていたということです。
数日が過ぎて水が引き、家に戻ってみると、
家の中は滅茶苦茶で、電気製品はもちろん皆使いものにならず、
箪笥を引出しを開けようとしても、
引出しに水がいっぱい溜まっていてぜんぜん引くことができなかったそうです。
それでもなんとか引き出し、使えそうなものは漂白して乾かして使っているんだそうですが、
生活するための道具はまだぜんぜん足りないので、
今日もまた100円で生活用具を売り出しているところに買いに行くのよと、
そのまま買い物に向かわれました。

それを聞き、現状の現場からは感じることのできない被災時の緊迫感、そして3ヵ月経って随分復興しているように見えても、まだまだ十分な日常には遠いという現実を感じました。

また、2日間の作業のあと、被害の非常に大きかった地域を訪れたときの感想です。

報道などで、非常に多くの被災地の写真や映像を見たにもかかわらず、実際に現場に立つと360度どこを向いてもそれが広がるのみで、あまりの壮絶さに、言葉も出せず、当初はただ立ちつくすのみでした。
実際の現場は、映像などを見るのとは違って、被災地のワイドな光景が視界に入りつつも、なおかつ細かい箇所もフォーカスされて目に入ってきます。報道を見て想像できることと、実際を目の当たりにして働く想像力とが、こんなにも異なるものかと自分でも驚きました。
壁が剥がれた被災家屋から見える中の部屋の数々、そしてそこにある小物の数々は、津波が来るまでそこにいた人たちが普通に生活をしていたのだということを自然に感じとることができました。
そしてそれが直感的に身近に感じられれば感じるほど、自分の家族や身近な人たちとシンクロし、
いたたたまれなくなる感情に襲われました。普通におくっていた生活が突然失われることの怖さと理不尽さを思いました。

現地の方が、
「写真を撮ってもいいです。そして帰ったら、ここで見たことを話してください」とおっしゃられたことが自分には重くのしかかるように感じられました。帰りのバスの中で感想を述べ合うとき、参加者の多くが、被災地で見て感じたことを伝え、そして関心を持ち続ける、ということを言っていましたが、まさにその通りだと思います。
あと、これも帰りのバスの中で教員がおっしゃっていましたが、今回のボランティアの参加者全員、怪我がなくて本当によかったと思います。側溝の蓋など重い物を動かしたりもするので、うっかりしていると指を挟んで怪我をしても不思議ではないような現場でしたが、参加者それぞれ、自分自身はもちろん、自分の周囲の人も怪我をしないよう非常に注意しながら作業をしてくれたおかげで、皆、怪我をすることなく無事に帰ることができました。非常にありがたく思いました。

最後に、私1人では、被災地に行くことは、まずなかったと思います。今回、ボランティアに参加の機会を与えていただいた皆さま、直接、間接的に手を差し伸べていただいた方々に深く感謝いたします。
<職員>


-----------------
先日は大変お疲れ様でした。お世話になるばかりで本当にありがとうございました。

実際、ボランティアに参加させていただき、本当に私の中で、気持ちが大きく変わりました。メディアの報道では、復興している地域や原発の報道が多い中、1便で行かれた場所へ行き、衝撃を受けました。言葉を失うというのはこういうことなのかと感じました。やはり、自分の目で見ることの大事さ、そしてその目で見たこと、話を聞いたことを家族や友人に伝えて続けていくことが大事なんだと素直に思いました。

実際、私たちが作業したことはほんのわずかなことだと思います。しかし、その小さなことの積み重ねが明日、明後日へとつながっていく事だと思います。

次回があれば、是非参加させていただきたいです。そして、自分に出来ることをもっと考えていきたいです。

本当にありがとうございました。またどうかよろしくお願いいたします。
<職員>


-----------------

今回参加した教職員スタッフが皆さんであったこと、本当に感謝申し上げます。
適切な表現ではありませんが、「楽しく・元気に」活動に取り組むことができました。

バスの中でもお話しましたが、今回のボランティアバスツアーの案内が発表されたとき、「参加したい」という私と、「めんどうだ」という私がいて逡巡している時期がありました。そんな時、同僚が「行きましょうよ!」と声をかけてくれ参加する一歩を踏み出すことができました。考えることと、行動することのどちらかを選べといわれれば、まずは行動すること(参加してみること)の尊さを、
身をもって理解することができました。

振り返ると、震災発生当初、多くの子どもたちが亡くなったニュースを見たとき、同じ年頃の子どもを持つ親として、体をちぎられるようなやりきれなさと怒りを感じていました。しかし時間とともに、昔の話となり、遠い地域の出来事となり、意識する時間は少なくなっていきました。
今回、4ヶ月が経ったはずの被災地・中屋敷の保育園の散乱状態を目の当たりにした時、津波が襲ってきたその恐怖と、その後の多くの人々の無念が、体の中に伝わってきました。石巻では、そんな状況の中で、今、人々が暮らし、日常に戻るための努力を続けられていることを知ることができました。多くの人間が、少しずつでいいので、隣人のこととして共感し、可能な力を出し合い、活動を続けることが重要だと痛感しました。

私一人では、被災地に行こうと決断することは絶対になかったと思います。多くの人間が協力をして活動するボランティアバスツアーがあったこと、また事情があり参加できなかった者が多くいる中で参加することができたことを、かさねて感謝いたします。
<職員>


-----------------
大谷大学教職員学生ボランティア(臨時便)の報告
7月1日(金)夜から4日(月)朝にかけて、大谷大学教職員学生ボランティアとして、宮城県仙台市・石巻市に行ってきました。ボランティア第1便として6月初めに活動して以来、ちょうど1ヶ月後の再訪でした。「大学の仕事や授業を休まないでボランティア作業をする」という基本方針の下に、金曜の6限が終わった19:40頃に京都・北大路の大学を出発しました。

*****
今回も日本海周りのルート。そして今回もやはり眠れず。3時半頃から白み始める高速道路をひた走り、朝7:30頃に仙台の東本願寺の災害復興支援センターに到着。

〈作業1日目〉
石巻まで移動して、石巻専修大学のボランティアセンターにて作業の割り当てをされました。今回は津波で様々なものが溜まった側溝の掃除が主な仕事。
作業としては比較的単純ですが、重たい側溝のコンクリートのフタをはずし、清掃したうえでまた戻すという作業は、体力・集中力を要しました。ひとつ間違えると大怪我をしかねません。炎天下のなか、土曜日の作業を終了し、仙台の支援センターに戻りました。

〈作業2日目〉
朝7時にふたたび石巻へ。この日も石巻市南中里で側溝の清掃です。作業をしていると、そこの家の方も出てきて下さって、一緒に作業をすることができました。
誰も怪我することなく、お昼に無事に作業終了しました。

作業後、先月訪問して泥だし・片づけ作業をした、石巻市中屋敷の酒屋さんへ向かいました。ちょうど家の方が居られて、ひと月ぶりに再会してお話を聞くことができました。
先日も遺体が近所で発見されたこと、そして震災以来4ヶ月になろうとしている最近になって、お葬式のラッシュになっていることなどをお聞きしました。
この地区は津波による被害が甚大だったために、ここに残っている人は多くありません。辺り一帯は静まりかえっていて、失われたいのちと波にさらわれた家々のかけがえのない重さが伝わってくるようでした。

仙台に戻り、清掃・入浴・食事などを済ませ、19:30頃出発。帰路は往路よりもさらに眠れぬ夜を過ごしました。翌朝8時前に大学に帰着。荷物をバスから降ろし、解散しました。

*****
震災から4ヶ月が経とうとしている今、着実に復興しているところももちろんありますが、その一方でまだまだ手つかずでいるところも多く残されています。今回、再度災害ボランティアに参加して、継続的な支援活動の必要性を改めて感じました。

現在のこの関心を、来年の今頃も持ち続け行動に移すことができているだろうか?
また、「節電の夏」という合い言葉の下に、一生懸命節電に励むことは何ら否定することではありません。しかし、仮に来年の今頃も同じような状況だったときに、果たして今年と同じような熱意を持って節電に取り組むことができているだろうか? 再来年はどうだろうか?

被害の深刻さを思えば思うほど、「短期集中」だけではなく「長期継続」型の支援のかたちを模索する必要があるということを、これからも考え訴えていきたいと思います。

追記:
火曜日の授業に辞書を持っていこうとしたとき、しっかり掴んだつもりだったのに、その手から辞書がストンと抜け落ちそうになって驚きました。側溝のフタはずし・はめこみは、思っていたよりも握力にダメージを与えていたようです…。しかも、そのダメージが出るのが、おわってから2日後という…。
<教員>