活動概要

主  催  大谷大学教職員有志
協  力  大谷大学・大谷大学短期大学部/真宗大谷派(東本願寺)現地復興支援センター

第5便

今回参加する以前の自分には東日本大震災に対する実感が乏しく、深刻さを持って考えることはありませんでした。しかし震災がどのようなものだったか、それをテレビ等のフィルターを通さずに自分の目で見たり、被災者の方からお聴きすることにより、意識を改めることができました。
活動1日目の仮設住宅地においては、仮設住宅地というものの異様さを感じました。テレビ等においては仮設住宅地のみが切り取られ映るので、それほど異様なものには私には見えていませんでした。しかし実際に仮設住宅地に入り、そこから住宅外をみるとその差に驚かされました。普通に機能している都市の中に仮設住宅地がポツンとあるように感じられ、その異様さが際立って見えたのです。あれでは仮設住宅に暮らす人々が、自分達だけが酷い目に合っているかのような気分になりとてもツラいのではないだろうか、などと思ってしまいました。被害にあった方とあわなかった方の温度差というのは被災者が一番強く感じているのだろうな、とも思いました。
1日目の晩にお話を聴かせて頂いた、津波で父親を無くされた方のお話においては当日の状況の凄まじさを知ることができました。息子がもしかしたら津波ですでに亡くなっているかもしれないと頭の中で思いながら、自分の仕事に責任をもち、仕事を続けるという選択をとらされるその場の状況と、選択をとることができる精神的な状況に畏れを感じました。震災当日、各地で多くの人々がこのような状況や選択に迫られていたことを考えると、3月11日は被災していない人間にとっても記憶に留めておくべき日だったということを思い知らされます。
活動2日目の芋煮会においては、一緒に芋煮を頂いた、民間仮設住宅に住む方とお話をさせて頂きました。その人は津波がおさまった後、家を見に行くと家が無くなっていたそうです。涙もでなかったとおっしゃっていました。ある日突然、病気や事故、災害などによって、当たり前であったものを失うことがあるという現実に対し、 自分にはそんな事は起こらないだろうとどこかで思っていたところが私にはあったのかもしれません。しかし被災者の話をこの耳で聴き、突然何かを失うという、ある意味当たり前のことを思い知らされました。
最後に極めて私的なことになりますが、人と喋ることがしんどい、面倒くさいと思うことは非常にもったいないことなのだと今回の活動で感じました。また、人と喋るのが苦手な私に対して、被災者の方から色々なことを話して頂けたのは私がボランティアという立場だからであるからなのだろうなと感じ、ボランティアという肩書きを持った人間が現地へ行くことの重要性を感じました。
役に立ってないことを自覚するのは辛いことで、自覚しているにも関わらず動かないことが情けなく、とても反省の多い2日間でもありました。
ありがとうございました
【3回生/男子】


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初のボランティアで東北に来ました。現地を見て感じたことは想像以上でテレビ等の報道以上で言葉がでませんでした。そして被災した人に直接当時の事を聞いて更にどんな状況でいかに津波や地震の恐怖を教えてもらいました。仮説住宅に住まれている方にも話を聞きました。前に前にと進もうとしているのが凄く感じられ仮設住宅では雨の水引きが悪く深水していたり雨漏りがひどかったり、話を聞かないと分からない事だらけであってそこに住んでみないと分からない悩みなども少し聞きました。
何よりこのボランティアで一番衝撃的で驚いたことが子ども達とレゴブロックで遊んでいる時の出来事でした。小学生低学年くらいの子が普通に2人で1つの家を建てて遊んでいた時の話なのですが最初はただ家を作っているのだなと思っていたのです。突然非難口つくらないとね。といい家に非難口をつくっていた。その姿みて胸がうたれました。小学生低学年の子が津波の恐怖を抱えて生きていると思い。そんな小さい子からも私は学ばされました。最後に観た当時から復興していくなかで忘れてはいけない動画は
今日見てきた被災地よりも酷く当時の様子があり涙がとまりませんでした。本当に風化してはいけない、忘れてはいけないと思いました。やはり直接行ってみて分かる事感じる事が沢山ありこの体験を少しでも伝えたいと思いました。何よりまだまだボランティアが必要だということも肌で感じ。機会があればまたボランティアに参加したいです
【2回生/男子】


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すごく短くて、濃い日でした。
何をしたらいいのかわからなかったけれど、活動のなかで、「あ!自分には健康に働ける体と帰る家があり、家族もいる」そのことがすごい幸せに感じました。
あと芋煮会などの集まる場をつくることで少しずつでもコミュニティの再構築きっかけとなれれば幸いです。
これからもなんらかの形で関わっていけたらと思いました。
このような機会を与えてくださり本当にありがとうございました。
【1回生/男子】


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今回津波の被害にあった方々にお会いして、福島県民の一人として、私事ではありますが、自分自身や自分の地元について、改めて考えさせられました。津波の被害と原発の被害、それらは全くもって別の被害であり、今後歩んでいく道の違いを思い知らされました。
津波で家族を亡くされたり、家や財産をなくされた方々は、「(跡形もなくなり、)もう二度と前と同じには戻らない」という現実に苦しみを覚えていると思います。
日常が一瞬で奪われ、二度と取り戻せなくなってしまうなんて、きっと私には想像できないくらいショックの大きな出来事だったでしょう。また、その現実は目で見て確認できるれっきとした事実であるため、現実から逃げることもできずに、大きな虚無感を抱えながら過ごさざるを得ないと状況が続いていると思います。
しかしながら、ボランティアを通して感じたのは、皆さんの前向きな姿勢です。ボランティア団体の皆さん、そして被災者の皆さんも、復興に向けて、少しずつ少しずつ前に進んでいっているように見えました。
あとは、我々のサポートさえ継続できれば(←この点が重要でかつ難しくあったりするのですが…)、必ずまたみんなで暮らせる町が甦る気がします。
そして、この皆さんの前向きな姿勢を見て、福島の現状とのギャップに虚しさを感じました。
福島も、原発周辺地域を含め、津波による甚大な被害を受け、多くの人間が亡くなり、多くの家が流されました。
しかし、原発の問題があまりに大きすぎるため、人々はあまり復興に意欲を示していません。もとより、原発の収束こそが第一なので、復興が二の次になってしまうのが仕方のないことなのは理解しています。しかし、その原発収束の目処がたたないために、復興という文字が放置され続けているのです。また、同時に、放射能による人体への影響を懸念して、復興に踏み入ることができない現状があります。それらによって、福島は、何1つ変わらぬまま7ヶ月あまりを過ごしてきました。「何1つしていない」というよりは、「何1つできない」この現状に、今後の福島はどうなってしまうのかという不安にかられます。
しかし、ボランティアを終え、いま、福島に必要なのは「希望」なのではないかと思いました。ボランティアを通して、福島の人々は希望を持っていないことに気付いたのです。
宮城の人々は、復興を夢見て、希望を胸に前向きに進んでいるように見えました。希望や、現実的な目標があるのことは、実に前向きな精神作用を及ぼすと思います。
しかし、放射能の恐怖の中で、希望を見つけるのは非常に困難なことと思います。しかし、その糸口を見つけさえすれば、福島はいっきに活力を増すのではないだろうかと思いました。
諦めかけていた福島への思いを、ボランティアを通じ、刺激を受けたことによって、また蘇らせることができたような気がします。今回参加できて本当に良かったです。ありがとうございました。
【1回生/女子】


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今回で宮城県を訪れるのは3回目でした。
1回目は7月、2回目は9月でしたが、どちらも震災や津波による被害が大きかった場所へ行って、土地を整備する作業のお手伝いをするというものでした。
3回目は、1回目や2回目と違って仮設住宅や公民館などで行われるイベントのお手伝いをするというものでありましたので、今までとはまた違った感じ方ができました。
東日本大震災以後、ボランティアとして宮城県を訪れるたびに、街の様子が確実に復興に向けて歩んでいるということを感じることができます。
ゆっくりではありますが、段々と街が綺麗になっていっていると思います。
それは、数多くの復興支援ボランティアの方々による作業や、何よりも現地にいる人たちが、一生懸命生きようとしている姿があるからだと思います。
東日本大震災から半年ほど経つと、ボランティアの人たちが作業できる範囲のほぼ全てが綺麗になった、という話を聞くようになりました。
そのような中で、今後私たちボランティアにできることは一体何なのかということは、今回宮城県を訪れる前までの自分自身の課題でありました。
正直に言いますと、作業がほぼ済んでしまっているのであれば私にできることはそんなにないのではないか、そのようであれば私は宮城県まで行く必要はないのではないかというような思いもありました。
このように段々と自分自身の中で東日本大震災に対する思いや関心が薄れてきていることに対して、苛立ちや焦りを感じていました。
そのような中でも、まだ私ができることはあるはずだという思いがあり、それを探すために今回のボランティアに参加したのかな、ということを思います。
今回のボランティアでは、1回目や2回目と違って、現地に生きる人々と会話をする機会が数多くありました。
一番印象に残っいるのは、イベントを行うに当たってテントを組み立てていた際、それを見かけた現地の人の多くが、「今日は何かあるのかい?」と、興味津々な様子で話しかけてきてくれたことです。
このことを受けて、現地を生きる人々は、やはりボランティアの人々を待っているのではないかということを感じました。
今日はどのような出会いがあるのだろう、といった感じで、非常にワクワクしているような印象を受けました。
共に食事をしても、宮城県ではこのような味付けをするんだよ、というような話をしてくれたり、とても歓迎されているような気持ちになった今回のボランティアでした。
またボランティア活動に参加したいと思うきっかけとなりました。
また行きます。ありがとうございました。
【2回生/男子】


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行きのバスからもそんなに堅さはなく、楽しそうな雰囲気で予想外でした。
一日目バザーのお手伝いで仮設住宅での取り組みでしたが、正直震災が起こった土地というイメージはなく、実際に現地の人達もみんな笑顔で楽しくできたという感じでした。
でもお寺に帰ってきてからお話しを聞き、まだまだ大変な思いがたくさんあり、一人一人が背負うにしては辛すぎることで、僕たちには何ができるのか、もっとしなければならないことがあるんじゃないのか、自分のなかでやっぱり他人事に感じてしまう自分もいるし、実際に自分の身に起こらなければ気持ちをわかることができないのか、現地の人はそのなかで前を向いて歩いているのに自分はもうあの衝撃を忘れかけているのかと、自問自答ばかりでした。
二日目、芋煮会で多くの人たちと接することができました。現地の人達、レスキューの人たち、他のボランティア団体の人たち、名古屋音大の人たちなど、みんなみんな笑顔でした。誰も横を素通りなどしてる人はいませんでした。
みんなで支え合って、人と人が繋がりを持ち、みんなで前向きに生きていました。自分の体験を笑って話す人もいました。本当に強い人たちだと思いました。絶対に辛いことのはずなのに。
今までの自分が本当に恥ずかしくなりました。遠い土地だからを言い訳になにもしてこなかった自分が本当に恥ずかしいです。
でも今回初めてボランティアに来ただけなのに、「どうしてわざわざ遠い土地から来ていただいたのですか?ありがとうね。」とか「若いパワーをもらえて、本当にうれしいです。これからもっと頑張れます。」など本当に感謝の気持ちを自分にぶつけてもらえました。
僕も本当に嬉しかったです。
微々たるものかもしれませんが、少しでも力になれて僕もパワーをもらいました。
最後の映像でもこんなことが起きたんだという事実を絶対忘れてはならないですし、もっと知らなければなりません。そしてそれを伝えなければならないと思います。
普通の生活が当たり前ではありません。
もっと身近な人たちを大切にし、感謝の気持ちを忘れてはならないと実感します。
本当に色んな想いが出てきたあっという間の二日間でした。
色んなことを学べ、見つめ直すことができました。
でも決して終わることはありません。これからが大事だと思います。
ありがとうございました。
【3回生/男子】


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3月11日に震災が起こったとき、 大きな津波が街並みを押し寄せてゆく場面をテレビで見て、かなり恐くなり、血の気が引きました。しかしあの日から7ヶ月が過ぎて、確かに自分の中であの恐怖が忘れかけていました。
ですが今回のボランティア活動において生で被災者の方々のお話を聴いたり、津波に襲われた街を見て、京都でテレビを見て感じた恐怖よりもはるかに大きな恐怖を感じました。もし、私があのときここに居たらと考えましたが、想像することが出来ませんでした。
この震災が起きたとき、何か私にも出来ることがないかと考えましたが、結局募金しかしてきませんでした。ですが、今回被災者の方々にボランティアをすることで、被災者の方々に笑顔で「ありがとう」と言って頂いたときに、とても嬉しい気持ちになり、自分でも被災者の方々に感謝をしてもらうことが出来るんだと感じました。同時に今まで行動出来るのに行動しなかった自分をとても悔やみ、情けないと感じました。
この震災による被害をより近く体感して、人の命の大切さを更に感じました。自分に大小関係なく関わっている人々に日々感謝しなければならなくて、今私がこうして生きているのも、色んな人々のおかげです。そして人の命のために自分が精一杯の出来ることをしなければならないのです。
この震災の被害を忘れることはもうありませんし、忘れてはいけません。この震災による被害や、被災地ではたくさんの人々が悲しんでいること。しかしその悲しみの中でも、人の暖かさを感じ希望を持ちながら暮らしていらっしゃる人々が居るということを、色んな人に伝え、代々話されていかなければなりません。
今回のボランティア活動を通して感じたことは、言葉に言い表せないような思いもありますが、京都に着いたら両親や友達に「いつも、ありがとう」と伝えようと思います。
【2回生/男子】


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今回のボランティアでは、撤去作業などではなくイベントのお手伝いという事で、正直自分が望んでいたボランティアではありませんでした。
初日の仮設住宅での作業では、被災者の方に震災の時の話を聞くのは辛い気持ちにさせてしまうのではないかという思いなどから、積極的にお話を聞く事が出来なく少し消化不良な部分がありました。
そのため2日目の芋煮会では、芋煮を食べながらお話をしたり、子供達と遊ぶなど自分から積極的に行動することが出来ました。
しかしこういうボランティアは、本当に被災者の方達のためになっているのか、本当は被災者の方達にとっては町が復興するためのなにか形に残る違った作業を求めているのではと感じていました。
またガムラン演奏を聞いている時、被災者の方達の凄く楽しそうな顔を見ていると、自分は話をすることしか出来ない、本当に無力だと感じました。
しかしRSYの方達や、おおともさん、清谷さんなどのお話を聞いていると、自分1人ではなにもできないからこそ、私が実際に自分の目で見た、家が流された被災地や仮設住宅、被災者の方から聞いたお話を、自分の周りの人達に伝える事が1番大切なのではないかと思いました。
たった2日間では、できたことが少なかったので絶対にまたボランティアを定期的に参加し続けようと思いました。
【4回生/女子】


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私は、今回のボランティアに参加出来て本当に良かったと思います。
前からテレビなどを見て被災地に行きたいと思っていて、一度兄や母も岩手県にボランティアに行っていていろいろ話を聞き、テレビやメディアとかじゃなく自分の目でどんな状態なのか確かめたいと思い、今回のボランティアに参加させていただきました。
参加して一番強く感じたのはボランティアをしに行ったのに、逆に自分が被災地の方々に元気をもらったと感じました。
被災地の方はみんな明るく、自分よりも、もっと元気だった事が印象的でした。
今思えば、自分の地元に津波が来なくてよかったと思っている自分がどこかにいました。その気持ちがボランティア活動をするにつれてだんだん自分に対する怒りや愚かさを感じるようになってきました。そしてこんな自分にでも被災者に対して小さくともできる事があるのだと知りました。
1人の力は小さいけど、みんなで力を合わせれば大きな力になると知り、これからは自分も直接はなかなか難しいけど、少しでも力になれるようにしていきます。
最後に見たビデオで私は涙が止まりませんでした。ビデオを見ている時、頭が真っ白になって何時の間にか涙が出ていました。女の人が泣きながら我が子の遺体を抱きかかえている写真を見た時は特にヤバかったです。
今回被災地に来て自分の中で被災地に対する思いがとても強くなりました。
がんばろう東北、と言う言葉がありますが東北だけでなく、それ以上に今回の地震や津波であった出来ごとに対して今日本自体が考え直すべきではないのかなと思いました。
【2回生/男子】


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今回で二回目のボランティア。
しかし作業は1回目の力仕事とは全く反対で、バザーや芋煮を作る仕事でした。
力仕事のときとは比べ物にならない程の被災者の皆さんとのふれあいがありました。
ニュースなどでも放送されなかったような当時の様子なども話してくれました。
その内容があまりにも残酷で、生々しく、何一つ返答ができませんでした。
その時、一瞬見せた堪らなく辛そうな顔が、今も頭から離れずにいます。
本当に何も言えず、ただただ頷くことしか出来なかった僕は、なんて非力なんだろうと思いました。
「今何をしに来ているんだ この方達に少しでも元気になってもらうために来ているんじゃないか」と心に強く言い聞かせましたが、どうしても口を開くことが出来ませんでした。
今は何も言えなくても、バザーや演奏で少しでも元気になってもらおうと、本気で取り組んだ一日目でした。
その夜、あの時なぜ何も言えなかったんだろう と後悔しました。
2日目は芋煮会を開きました。
みんなで豚汁のようなものを作り、みんなで食べました。
みんなとても笑顔でした。
演奏も聞きました。今回は演奏に合わせてみんなで手拍子もしました。
最後はみんなの心が一つになり、全員が最高の笑みを見せていました。
振り返って、やはり来てよかったなと思いました。
被災したみなさんが笑顔で接してくれることが嬉しくて嬉しくて、この方々のためにもっとボランティアに参加しようと思いました。
ありがとうございました。
【1回生/男子】


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震災のボランティアといえば泥かきや、瓦礫の撤去などの肉体労働だと思っていました。だから最初の方はこんなボランティアが今、必要なのかな?そんな気持ちを少なからず持っていました。
そんな気持ちを持ってボランティアに参加させてもらいましたが今日、お話していただいたことをきっかけに少しだけボランティアに対する考え方が変わりました。そのお話というのも被災地への支援の仕方で、被災者が自立できるような支援がイイという内容でした。その話を聞いて今回のようなボランティアも必要なのかもしれないなと思いました。待っているだけではあまり現実は変わりません。少しでも行動すれば少しずつでも変わっていくと思います。だから物理的な支援も必要ですが被災した方々の「頑張るぞ」「復興するぞ」という気持ちを持続できるような働きかけをする事もまた必要なのかもしれないそのように考えるようになりました。
だからボランティアが終わってしまった今では今回のようなボランティアも必要なのかもしれないと考えるようになりました。
【2回生/男子】


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私は、ボランティア自体初めてでちゃんと被災地の人達と上手くコミュニケーションがとれるか心配していました。けど、実際に行ってみて話して被災地の人達はみんな、とてもフレンドリーですぐ仲良くなれて本当に嬉しかったです。
日曜日の朝、七ヶ浜の光景をみてとても驚きました。ニュースでみるのと実際にみてみるのとでは、気持ちの持ちようが全然違いました。芋煮会で調理している時や一緒に芋煮を食べている時、色々な話が聞けてとてもいい思い出になりました。
3月11日から7ヶ月が過ぎたけど、まだ、たくさんの人が仮設住宅に暮らしていて辛い事や苦しい事もあるだろうにみんな笑顔で暮らしていてとても感動したのと同時に私ももっと頑張らないといけないと思いました。励ましに行ったのに逆に励まされてる用に思いました。
帰る前に見た画像は凄く衝撃的で、歌詞も凄く感動しました。何十年先もちゃんと忘れないようにしっかり覚えておきたいです。
今回のボランティアに参加できて、とても貴重な体験ができました。「生きている」という事すばらしさ、「繋がり」の大切さ、感謝の気持ちを忘れない用にしたいと思いました。今回のボランティアで学んだ事を京都に持ち帰り、友達や両親に話してあげたいと思いました。
【3回生/女子】


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今回、初めてこのボランティアに参加しました。
このボランティアの参加を決めた理由は些細なことでしたが、まずテレビで見た光景を自分の目で見て、もしこれが自分の住んでいる町だったらと考えただけでもすごく怖くなりました。
そして、被災者の方々に私は何を聞いていいんだろうと分からなくなり戸惑いました。
ですが、被災地の子供から年配の方まですごく明るい笑顔で私達に接してくれて、ボランティアの私達が逆に元気をもらったのではないかと思います。
けれど、あの明るい笑顔でお話ししてくれた方々の心の中には想像出来ない程の悲しみがあり、傷が残っていると思うと、私に何が出来るかと考えたときに話を聞いてあげることしか出来なくて、自分の無力さを実感しました。
震災後、戻っていくものもあるけれど、ずっと残るものもあるんだと思います。
帰る家があるありがたみや、好きなときに好きなものを食べれるありがたみ、家族、友達への感謝する気持ちは、絶対忘れてはいけないと思いました。
何かをしてあげたいと思ったこの東北で、いろんなものをもらったのは私自身だったと思います。
この2日間で、自分の目で見て聞いて感じたことをたくさんの人に伝えていきたいです。
そして、まず家に帰ったら両親にいつもありがとうと伝えようと思います。
いろんな出会いがあり、いろんなことを考えさせられた濃い2日間でした。
絶対にまた来たいです。
【2回生/女子】


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ボランティアに参加させて頂く前は、テレビでしか見えない光景などが実際どのようになっているのかや自分が行くことでなにか役に立つことができるのかということを考えていて、最初仙台に着いたときあまりにも都会で賑わっていて本当に地震があった場所なのかなという気持ちになりました。でも1日目で仮設住宅に住んでおられる方々や先生にお会いしてお話を伺うと、やっぱり自分が想像していた以上に辛い思いをされていて、それでも私たちに経験した話をリアルに話して頂き涙が溢れるくらい胸が苦しくなりました。でもそんな話を生で聞くことができて本当に貴重な体験ができたと思っています。
2日目での芋煮会のときでも自分はただやれることをやっただけなのにたくさんの方からありがとうと言って頂き、ボランティアというより自分自身が被災地の方から元気をもらい、一日一日をもっと大切に、そばにいてくれる人たちをもっと大切にしてしかなければいけないということを教えてもらいました。
津波の被害が大きい地域など実際に見ることができて本当に何もかもが無くなっていて、ここにいた人たちは地震があった日どんなに苦しかっただろう、寒かっただろうと色々な思いが頭の中に巡って7ヶ月たった今は瓦礫がなくなり綺麗になっているけど、被害にあったたちの心の傷は一生癒えないんだろうなって考えていました。
最後のビデオでも、埋葬のところや泥だらけの子ども、無邪気に笑っているこどもや瓦礫だらけの街を見て、今日会った方々はそんな体験をされており苦しい思いをされてきたのに、ずっと笑顔で優しく接してくださり自分が助けたいし何か力になりたいと思って参加したボランティアなのに、逆に自分が勇気をもらい毎日を頑張って一生懸命に生きていかなればいけない気持ちになりました。
今回参加させて頂き、やっぱり自分の目で見た景色や関わって下さった全ての人たちのことは本当に心に深く刻まれました。
周りの環境はこれから良くなっていくかもしれないけど絶対3月11日のことを忘れずに生きていこうと思いました。
被災地の方々に自分がなにか役に立てたことができたのかはわからないけど、自分自身のこれからの人生において大変貴重な経験ができたと思います。
ありがとうございました。
【4回生/女子】


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今回は二回目のボランティアということで再び七ヶ浜に行くことができました。
前回買うことのできなかった七ヶ浜Tシャツを購入することができたことに至極の喜びを感じます。
さて、今回のボランティアでは、現地の方々と交流することが主な目的であったと思います。仮説住宅に住んでおられるお年寄りのお話は貴重なものでした。
初日の夜のオオトモさんのお話も印象的なものでした。
2日目、久しぶりに見た七ヶ浜の光景は、変わったところもあれば、全く変わってないところもありました。
七ヶ浜では、多くの笑顔を撮ることを意識しました。ガムランの演奏を聞き、全員が一体化していくことに感動しました。
最後はみんな一緒に演奏して、踊れて楽しかったです。
別院で最後に見た映像も非常に印象的でした。津波で多くの方々が亡くなられた事実をより実感することができました。
僕たちの2日間が少しでも被災者の方々の励みになれば光栄です。
2日間本当にお世話になりました。お疲れ様です。
【1回生/男子】


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引率者代表の教職員を始め、参加された大学生お疲れ様です。
そして東北別院の職員さん・名古屋音大生・被災された東北の方々、被災者であり、お寺・僧侶のあるべき立場を説いてくださったカイラク寺の御院(住職さん)お世話になりました。学ばせていただきました。
この様な機会を頂いたのも自分の意志だけでなくご縁だと思います。寄り添う事の大切さ・多くの日本人(被災者やボランティア・政府・募金される方など)が支え合い・世代地域を超えて共に考え明日に向け生きる事が大切と思います。言うまでもなく、国外で震災起きても同じで目を背けてはいけません。
無縁社会と言われる現代に東北は今メッセージを発していると感じました。
今回私がさせて頂いた事は本当に小さな事でしょう。
しかし、小さな事も多くの方々がされる事で一つとなり大きな一歩です。
私にも何か私なりに出来る事必ず有るそう感じました。
志藤先生4日間「財布行方不明の際は特に」本当にお世話になりました。この経験を人生の糧に生きたいと思います。
最後に東北地方太平洋沖地震の被災された方々に改めてお見舞い申し上げます。
【4回生/男子】


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2日間ボランティアしてみて、もう大部分はきれいになっていたけど、やはりまだ残骸が残っていて地震がもたらした被害がどんなものだったかということを少しでも感じとることができました。また最後にみせてもらった映像からは現場をきれいにするのは時間がたてば回復してくが被災者の方々の心には地震が起きたころの出来事が鮮明に残っています。だからこそボランティアの人達がもっと必要で被災者の方々の心の傷を少しでも和らげられればいいと思いました。このボランティアに参加したこと少しでも大震災というのがどういうものだったのかリアルに感じることができまた被災された方々と会話をするという貴重な体験ができてよかったです。機会があればまた参加したいと思いました。
【1回生/男子】


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2日間のボランティアを通して。
色々な方々の支援ご協力をいただきながらの参加でした。まだ言葉に出来るほど自分のなかで整理がついていないです。ですから、意味が通じないこともあると思います。お許しください。
実際に被災地を訪れて、津波被害の甚大な所とそうでない所の「二極化」に驚きました。
仙台市内は僕とそう変わらないような日常があったような気がしました。(勿論、被災から半年が過ぎ、その間想像のつかないような努力をされてきたからだと思います。)
一面では、その変わらない日常の中にポツリと仮設住宅がある異質な空間があって、そのギャップに戸惑ってしまいました。
今回は被災者からの生の声を聞くことができてよかったです。色々な話がありすぎて書ききれないです。
まとめきれないので、もう少し自分の中で消化して、考え続けていきたいです。
志藤先生や大谷大学関係者のみなさん、そしてボランティアスタッフのみんな、本当にありがとうございました。
続けること、繋ぐこと、この二点が今現在の気持ちです。またよろしくお願いします。
【大学院/男子】


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私は今までボランティアしたことがありませんでしたが、今回は初めて体験することができました。まず、今回の活動に参加させていただいた先生方に心からお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
次に、今回の感想を少し書きたいです。10月21日に宮城に来る時、学校の先生方は見送りにいらっしゃったのを見て本当に嬉しかった。それと共に自分は学校からのボランティアの一部分であるという認識がありました。また、自分は東北の皆さんに少しでも手伝ってあげたいと思いながら、バスに乗りました。バスの中で自己紹介とボランティアに参加したかった本当のきっかけを仲間達に伝えたいと思って、お話しましたが、テレビで見た3月11日の東北の様子とその日の自分の家族の状態を思い出して泣きたかった。しかし、先生方と仲間達が励まして下さったので、皆さんに伝えることができました。その後、一つの目標のために一つの方向に向かっている仲間達とお話しました。その時、本当に幸せでした。10月22日に朝から先生方と仲間達と仮設住宅がある仙台市太白区へ行って現地の人々とお話しながら、数珠を作りました。数珠を作りにいらっしゃった人々は多かった。私はそれを見て、やっぱり現地の人々が求めているのは精神的な捧げかなと思いました。私は、生きている現地の人々の安全と津波で亡くなった人々に、色々な気持ちを想いながら、数珠を作りました。数珠を作り終わっておばあさん達にさしあげると、おばあさん達は笑顔で「ありがとう、記念にします」とか「ありがとう、これを使ってお経を唱えます」などを言ってくれた時、私はその「ありがとう」は普通に言う「ありがとう」と違って、少し苦しみの感じがありましたが、おばあさん達は彼女達の苦しみを心に隠して、そこにきて手伝っている人々にものすごく深い感謝の心を持っていると思いました。その「ありがとう」と前向きに一歩一歩出しているそこの人々の勇気さを私は一生に大切なものにしたいと思います。その日の夕方になって、現地の人々と別れて泊まる場所に戻る時、自分はすごく淋しかった。しかし、私はその場所から離れて自分の生活に戻らないといけないです。そして、自分の生活の中でもっとやらなければならないことがあるのはもっと確実になりました。
10月23日も同じく朝は喜んで活動を行う場所へ行きました。その場所へ行く途中、津波に流された車とお家の土台を見た時、3月11日にそこの人々はどんな恐ろしい災難に遭ったかなと思いました。
午後、現地のおばあさんと子供とお話しました。現地のおばあさん達も子供も明るくてお元気でした。また、皆さんは「お家は流されたが、生きることができたのは何よりも大事です」と言いました。ここで私はいきている大切を分かりました。そして、生きているということに、もう一度考えさせられました。
【大学院/女性】