活動概要

主  催  大谷大学教職員有志
協  力  大谷大学・大谷大学短期大学部/真宗大谷派(東本願寺)現地復興支援センター

第4便

今回で二回目の参加になりました。
一回目とは現地での活動内容が変わり一回目に比べて現地の方とお話する時間が増えました。
現地の方々はとても温かい表情をされていました
が、その裏側に深い悲しみがあると思うと、こみあげてくるものがありました。
活動全体を通しては、一緒に参加した24名の大谷大学関係者の方、
現地で一緒に活動した他の団体の方、
被災地の方などたくさんの方々と色々なお話をすることができ、嬉しく思います。
被災地の方には少しでも心のケアになっていれば良かったと思います。
これで終わる事なく、また何かの方法で現地の復興に役にたっていきたいです!
ありがとうございました!
【2回生/男】


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今回私は、初めて被災地のボランティアに参加しました。
自分の目で被災地を見てみたいと思ったからです。
まず現地について最初に思ったことは、予想を越えた津波の被害に驚きました。
トイレがむき出しになっている家もありました。
被災者の話で津波がきたとき陸から100mくらい離れた小さな島まで波が引いたと聞き、
寒気がしました。
大きさを物語っています。
迅速な避難があったと思いますが、正直よく助かったなぁと思いました。
被災地の方にカレーを作りましたが、嬉しそうに周りと話しながら食べてる姿が印象的でした。
明るくて本当に被災された方達なのかと圧倒されました。
このボランティアを通して私は、自分達ができることは、
本当に小さな事なんだと実感しました。
でもその小さな積み重ねが必要であり、それを継続することが大切だと気付きました。
被災地を訪れた私たちが被災地に訪れてない人々へ現地の情報を話し、
被災地に行こうとする人が少しでも増えればいいなと思いました。
人から人へ伝わることも大切な事だと思います。
【1回生/男】


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久しぶりに被災地に来ました。
仮設住宅が整い住民の皆さんの笑顔が見られるようになったことに少しの安心を覚えた一方で、
自分が当時覚えた不安感と危機感が薄れてきていることを強く感じました。
東北出身の自分にとって、この地震は親や知人の安否を心配する気持ちと、
何かできることをしたいという気持ちを駆り立てるものでしたが、
あっという間に安逸を貪る生活に戻り、
そんな気持ちを忘れようとしていたように思います。
今回のボランティアは改めて自分を問い直すものになりました。
【大学院/男】


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今回私は「社会経験をしたかった」という軽い気持ちで、ボランティアに参加しました。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に
待っていたのは震災から1年近く経ってもまだ復興のできていない街の惨状でした。
私の出身である兵庫県でも阪神淡路大震災という大きな災害がありましたが、
当時、私はまだ幼く、その時の街の様子は記憶にあまり残っていなかった為、
今回の災害で壊された家、道路、車などを見た時、衝撃を受けました。
しかし私達が現地でお会いした、
仮設住宅に住んでおられる方々はそのような状況下においても、
明るく振舞っておられ、私達がショックを受けている場合ではないと思い、
ボラン
ティアに励みました。
その帰り際に、その方々に「ありがとう」と言って頂き、「あぁ、ボランティアに来てよかった」と思う事ができました。
軽い気持ちで参加したボランティアですが、この2日間を通して、様々な事を教わりました。
ボランティアで学んだ事を忘れず、これからの生活に生かしていけたら…と思います。
【1回生/男】


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今回、被災地での二日間の活動を終えて、
行く前に予想してなかったことが沢山ありました。
ボランティアを終えて自分の中で何かやってやったぞ、というような達成感というより、
色んなモヤモヤしたものを抱えることになるとは思ってもいませんでした。
それは、どういうモヤモヤなのか自分でもはっきり分析できてないのですが、
最後に木ノ下さんが仰った、「自分は自分の生き方を選んでいるのか?」という問いかけに
何か引っ掛かりを感じたということがあります。
ただ、自分の好きなこと、楽しみだけを追及していた今までの考え方が、
全くもって意味をなさないような、そんな二日間でした。
印象的だったのは、地元の若い男性がすごく僕たちに親切で、
あまり会話もしてないのに、まるで昔からの親友のように距離も近く接してくれたこと。
人間が人間を求めるってこういうは、こういうことなのか?と少し思いました。
このボランティアに誘ってくださった先生、友人、大学のスタッフの方々、
仙台別院、仏青の方々、避難所の方々に感謝します。ありがとうございました。
【大学院/男】


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倉庫づくりのため、仮設住宅へ行く途中、風景ががらっと変わる場所がありました。
倉庫づくりの現場では、車から降りていたので、足元の悪さから感じることができました。
瓦礫に埋まるカバンや、薬や、誰かもわからないアルバム。病院の部屋全滅、建物の崩壊。
震災から7ヶ月以上。
蜘蛛の巣とかから月日は感じるのに、荒れ果てていました。
それでもテレビで見るそれらは、より現実味をもって、物理的にも、心理的にも近く感じました。
こうして近く感じることは、足を踏み入れる前の自分とは百歩違うように感じました。
しかし、この百歩は被災された方には辿り着けない歩でもあるのも、同時に感じさせられました。

被災した仮設住宅の方のお話で興味深かったのは、飼っていた猫が被災してから1ヶ月(?)とかに
被災した家に帰ってきたことです。墓をつくるか迷っていたとのことです。
それで、ツバメとかを見ても(さっきの話も含めて)、命を改めて感じさせられた、とのことです。
日常で私たちが改めて命を感じることってそんなにないと思います。
身近な誰かの命に関わらない限り。
仮設住宅作業の帰りに、犬を抱いて荒れ果てた場所に立ち尽くす年配の女性をみました。
その時、傷は消えないことを思いました。私たちにできることは、
その傷を忘れないように生きていくことだと思いました。

大工のミクニさんとはお話させていただく機会が多かったのですが、
参加したくてもどう何をどこにしたらいいのかわからない、
日常の生活がある、などで参加できない人もたくさんいるだろうと、
話をしていたんですが、今回、機会に出会い、参加したくて、参加できてよかったです。
ありがとうございました。
【3回生/男】


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地震発生時に自動車学校にいた僕は、家に帰ってテレビ中継を見て絶句した。
ショッキングな映像が流れる中、何かしなきゃ!力になりたいという気持ちが出てきたなかで、
今の自分に何が出来るだろう?果たして力になれるのだろうか?と不安があり、
今まで何もできずにいた。今回のボランティアに参加したきっかけは
ある意味自分がどこまで力になれるかをはかるために参加した。
実際に現地の状況をこの目で見た。
崩れかけた家の中には津波によって流された家具が散乱し、
何十匹もの蜘蛛が巣を張り、どこになにがあったのかさえわからない状況だった。
地域一帯にただならぬ雰囲気が立ち込め、自然災害の残す独特の空気を肌で感じた。
この状況で僕たちはなにができるか。頑張れと応援することなのか、
涙を流すことなのか、東北の方の話を聞くことなのか。僕自信、確信できる答えはまだわからないが、
今私たちが求められているのはきっと今を精一杯生きることなのかなとも思っている。
今は下を向かず、上を向いて歩く時期だと僕は思う。
今回のボランティアは僕にとってこれからを生きるための
一つの起点となったボランティアでした。
【1回生/男】


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私の父親は阪神淡路大震災のボランティアに参加し、今でもそれに関わっています。
私は、なぜ父親が16年間も阪神淡路大震災の被災地に足を運び
今も関わっているのか理解ができませんでした。
でも今回の3回目のボランティアでやっと理解できました。
阪神淡路大震災にしても東北大震災にしても決して風化してはいけなくて、
そうするには関わった人が忘れない、そして伝えていくことが大切なんだと気づきました。
私はそんな父親の姿を見ていたから震災のあった直後から
被災地へ行いかなきゃと感じていたと思います。
ボランティアって人の役に立つこと、困っている人を助けることだと思っていました。
でも、それだけではなくて何年もずっと見たこと感じたことを忘れずにいる。
そして伝えていくことも活動なんだと初めて気づきました。
ボランティアに行ってきたって言うことは自己満足なような気がして嫌だったのですが、
私がしてきたことを伝えること、そして私が何年もずっと関わっていくことで
その姿を見て私の周りの人にも忘れないでいてほしいということが
伝えられたらなと感じました。
【3回生/女】


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宮城県に初めて行きました。
私たちが泊まったお寺の近くは結構賑わっていて、私の地元の福岡みたいな印象があったんですが、
今回の支援させていただいた場所に行くと、正直この土地に人が住んでいたとは思えないような荒れ様で、
最初言葉を無くしました。
積まれた瓦礫の山、散乱する家具や生活用品、テレビ画面の中の景色がそこにはありました。
「こんな被害にあわれた方々は大丈夫なのだろうが?」 と思いました。
しかし、予想外にも現地の方々は数珠を作ったりお話ししたりと
とても楽しそうに生活されていました。
私も炊き出しをしたり荷物を運んだりと、皆さんの生活に少しでも役立てるように頑張ったつもりです。
今回の支援活動で被災地の復興が大幅に進んだとか被災地が暮らしやすくなったとか、
そんな大きな進歩はないと思います。
でも、塵も積もれば山となる、ではありませんが、こういう小さな支援を続けていくことが大事なのかもしれないと、
勝手に思っています。
私自身も多くのことを学べたと思うし、生きることの大切さを教えてくださった現地の方々や
ずっとボランティアを続けている方々にお礼を言いたいです。
ありがとうございました。
また来たいです。宮城。


【1回生/男】
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今回大学のボランティアに参加する前に私は、
自分に何ができるのか、ということをずっと考えていました。
というよりも今、この震災が起きた中で何もせずに大学生活を送る自分は
どうなのかということを考えていました。
そして、前期と後期にボランティアに参加する機会を得て、
何かできる、したいということをボランティアの活動をしている時だけでなく、
毎日自分に今何ができるのか、何がしたいのか、
何をせねばならないのか考えて行動することが大切ではないかと思いました。
このことは普通で当り前のことかも知れませんが、
このボランティアに参加するまではそのことの大切さに気付けませんでした。
私がしたことは大学で行った復興支援のお手伝いだけですが、直接的に何か行動するということだけではなく、
節電や義援金、ニュースや新聞で復興のことに感心を持ち続けるなどやれることは様々で
人によって異なると思います。
今回の震災は、日本人の一人一人の上に色々なことを考えさせようとしていると思います。
私は、そのことを考えて忘れないことが、
いま私にできることだと思うので毎日の生活を見直す時だなと感じました。
【1回生/男】


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このボランティアは2回目。
誘われたから参加した、という事もあるが、とにかく「また行きたい。」という気持ちが強く、
参加出来たことに感謝している。

今回のボランティア場所は、石巻市雄勝。
前回のボランティア場所よりも、震災の傷跡が生々しく、未だに厳しい状況に直面している事が一目でわかる。
湾を囲むように築かれていたであろう堤防は、
津波によって破壊され、一時的補修として、土嚢が積まれている。
山の木々は一部枯れており、
土砂崩れ対策のコンクリの壁には、津波の威力で付けられた無数の傷が残っている。
津波がどれほどの怖さであるかが思い知らされる。
その様な場所での活動は、至る所に震災の傷跡が見てとれる。
私は倉庫造りの担当であったが、見渡す限りその様な光景である。壊れた民家に住人が帰ってくる。
とても住めるような家ではないのに…。
しかし、如何にそれが大事であるか、長年暮らした町が好きか、ということが、
彼らを見ていると物凄く伝わってくる。
また、活動初日の夜に、とある訳で私は、地元住民の視点から震災直後を捉えて作成された動画を見た。
「自然に涙が零れる。何も言えない。震災当日の事が頭に思い浮かぶ。
俺、何やっていたのだろう。」その様な動画であった。
次の日の活動では、それを受けて考えさせられる事が沢山あり、
同じ光景であるのに、より鮮明に、よりリアルに震災を感じさせられた。
教務所の職員さんも言っておられたが、「生きる事を選ぶ」その様な事、今まで考えてみた事もなかった。
死有りといえども、今は生きて当たり前、という感覚でしかいられないからだ。
最後に、私が今回参加した事は、何かに貢献したとは思えない。
しかし、震災は私に私自身の問題が何であるかを考えさせる機会を与えてくれた。
雄勝での活動によって、得るものを得て京都に帰ることができる。
これからの私がどうなるから分からない。
ただ、どうなるか分からないからこそ、また足を運びたい!
【3回生/男】


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私は、今回初めて宮城県石巻市の雄勝地区に震災ボランティアとして参加しました。
当初、被災者の方たちに迷惑かけてしまうのではないか、
不快な気持ちにさせてしまうのではないかなど、緊張や不安がありました。
しかし、そこの仮設住宅に住んでいらっしゃる方たちは夕食時、
側に寄るが緊張のため話かけようと思っても出来ない僕に対し、
ボランティアとして提供した手作りのカレーや湯豆腐を指差して
「このカレーとても美味しいよ。」
「湯豆腐を食べたのは久しぶり。この豆腐はどうしたの?」など
笑顔でおっしゃってくださり、会話のきっかけを作ってくださる被災者の方に出会い、
逆にこちらが勇気をもらいました。
それから、私達が活動をしていると、車などですれ違う被災者の方たちに
わざわざ車や足を止めて感謝の言葉をいただく事がありました。
一番辛い思いをしているにも関わらず、
なお、他人への労り、感謝を忘れない被災者の方たちがいる事に僕は、
この共通するメディアでは分からない、ボランティアに行かないと知ることが出来ない被災者の方たちの、
底知れない人間力を一生忘 れません。
そして、この経験を後世に伝え、これからの私の人生、辛い時や悲しい時に出くわした時には、
こんな強い方たちが日本にはいるという事を思い出し、乗り切っていこうと思いました。
【1回生/男】


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震災から約7ヶ月経つ今も、石巻には惨憺たる光景が広がっていた。
手のつけようのない破壊された家屋。
基礎だけが残った何もない町並み。
水が引かない荒れ果てた田畑。
そしてその中には紛れもなく、現在も仮設住宅で暮らす人々の生活があった。
自分には何ができるのか。何かできるのか。
それはすべきことなのか。
頭だけで考えたって仕方がない。
とりあえず動いてみること。
肌身で感じ、なでもいいからやってみること。
それが大切なのだと思った。
今回のボランティアバスに参加するまでは、「被災者の期待に添えるように」と考えていた。
この考えが、自分の中で邪魔をしていた。
最善を考えるあまり何もできなくなっていたのだ。
被災者の人々は、別に何も期待していない。しかし、信頼してくれている。
今回ボランティアバスに参加して気がついたことは、ただやってみること。
それだけであった。
【3回生/男】


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今回のボランティアに参加させてもらい、様々なことを感じ、考えさせられました。
今までは、テレビや新聞などのメディアを通してしか知ることができなかったが、
今回、実際に被災地を見て正直、悲惨だなと思いました。
もうなにもかも滅茶苦茶で、全てのものが一瞬で壊れてしまったのだということが
一目でわかりました。
震災の激しさを肌で感じた。
そのとき、自分はここに住んでいなくて良かった、という安堵を感じた自分がいて、
被災地を目の前にして、最低だなと思いました。
また、ボランティア先で被災者の方と話をした。
その人は、津波が来る直前まで海のほうへ仕事に行った父親や、
お年寄りのかたの避難を手伝っていたそうです。
自分の命も危ないのに、他の人のために動けるなんて、本当にすごいなと思った。
今の自分にそんなことができるだろうかと考えさせられました。
その人は、ギリギリで高台に逃げることができ、そこから色々なものを見たそうです。
津波の高さ、またその津波によって流され、壊れて行く家屋の数々。
その中に自分の家が流されるのを見て、全てを失ってしまった気がしたと言っていました。
私が話した人は、とても明るくて気さくな人でした。
その人が、「俺がこんなに明るいのは、明るくやってないと、やって行けないからな。」と私に言ったとき、
とても胸が苦しかったです。
被災して大事なものをたくさん無くして、辛くて、苦しくて、色々な思いを抱えているはずなのに、
それを表には出さず、隠して、前向きに生きて、前に前に進もうとしている強い人だなと感じました。
ボランティア先の方々は、みなさん笑顔で出迎えてくれて、
「わざわざ遠いところからありがとう」などと声をかけてくれ、本当に心の暖かい人ばかりでした。
今回のボランティアに参加する前までは、
2日間という短期間で自分たちに、いったい何ができるのだろうか、
ボランティアなんて他の人がやるだろう、といった考えがありました。
しかし、実際に2日間活動してみて、ボランティア先の方々と話し接するなかで、
たくさんの笑顔も生まれたし、自分たちの存在が少しでも震災の痛みを和らげ、
心の支えになってくれたのではないかと思います。
正直、やりたいこと、やれること、やらなくてはいけないことが、まだたくさんあったと思うのですが、
今回は2日間という期間が決まっていたので、今度は個人的にボランティアへ行き、
もっとたくさんの人と接したいと思います。
今回の活動で、自分の知らない自分、もうひとりの自分に出遇えることができ、
自分を見つめ直すいい機会になったと思います。
こんな良い経験をすることが出来たのも、
率先して活動してくださっている先生方のおかげだと思っています。
本当にありがとうございます。
次の6・7便があるなら、是非参加させてください。
2日間ありがとうございました。
【1回生/男】


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私は、東日本大震災の現地ボランティアに行ったのは、今回で三度目だった。
一度目は、震災発生から四ヶ月の七月、
二度目は、震災発生から六ヶ月の九月。
そして、七ヶ月の十月。
何度と現地へ行っても、震災により亡くなられた方々や仮設住宅で生活されている方々、
また、被害のあった実際の土地から、ただ一心に、「生きる」ということを問われているように感ずる。
「生きる」ってなんだろう。
これまでどう生きてきたか。
今どう生きているのか。
これからどう生きていくのか。
「生きる」ということを問い続け、私は生きていきたいと思う。
【4回生/男】


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毎週、仙台からかつて生家が「あった」石巻・雄勝へ帰っているという方の話を聞いた。
震災があった日も偶然帰郷されていて、津波が来るからと
ご両親や年配者をすぐ近くの山へ避難させたものの、
海を振り返ったらその生家が津波にさらわれていくところだったと、
炊き出しの留守番をしている私たちの傍で
缶ビール片手に淡々と語られた。
その当時は一緒に命からがら逃げたけれど、普段は一緒に生活していないし、
ボランティアの方々が炊き出しに来てくれても一緒にいただく訳にいかないのですよと
少し寂しそうに話された姿が印象的だった。
ここにも心に傷を負った方がおられる。
東日本大震災から7ヶ月が過ぎ、報道等も少しずつ減っていく中、
現地では復興が緒についたばかりというのが、私が見た現実だった。
普段、私たちが情報だと思っているのは、レンズや他者の評価を通じたものである場合が多い。
自分の眼で見て、もう一度この日本を皆で一緒に元気で明るい国にしていければと強く思った。
1人1人の力 は僅かでも、それらが集まればいろんなことができるはず。
まだまだできることはあるに違いない。
皆で一緒にやっていきましょう。
【事務職員】


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今回、宮城県でのボランティアに参加して震災の恐ろしさを改めて思い知りました。
震災については今までテレビや新聞などのメディアを通して情報を得ていましたが、
それではまるで遠い国での出来事のように感じてしまい現実味があまりありませんでした。
しかし、実際に被災地に到着すると今まで各メディアで報じられていた光景が目の前に広がり 、
現実の出来事なのだと痛感しました。
津波による被災地はとくに甚大で、建物の基礎だけが残っていたり、
船が陸の上にあるなど被害の大きさがまじまじと伝わってきました。
あまりに衝撃的な光景でしばらく声を出せませんでした。
炊き出しなどの活動を始めると緊張してしまって他の人たちに迷惑をかけてしまい、
自分がちっぽけだと感じていました。
しかし、被災地の方々は食事を終えたときに感謝の言葉をかけてくださりました。
被害に遭い、苦しい思いをしたはずの方々に暖かい言葉をかけてもらい、
支援に行ったはずなのに逆に応援された気持ちになり、
活動に参加できてとても良かったと思いました。
復興にはまだまだ時間や支援が必要なので、京都に戻っても今回の経験を忘れることなく、
節電や募金など少しでも自分にできることをやっていき、
またボランティア活動に継続的に参加していきたいと思いました。


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実際に被災地に訪れて、TVの中の光景を目の前にして「現実だったのだなぁ」と少し重たく感じた。
現地の人とコミュニケーションをとったり、協力して炊き出しをするのは初めてで、
楽しくできたと思うし、直接、津波に遭った現実を経験できた。
なので、価値ある経験だったのではないかと思っている。
【1回生/男】


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ボランティア活動を終えて、短い期間でしたが、現地へ行けてよかったと今私は思っています。
震災から7カ月経った今、テレビや新聞などのメディアで、
被災された地域や人々の現状を伝えることが少なくなってきていると
私は最近感じていました。
そして今回、現地へ足を運び、現状を見ることによって、
私は震災の出来事が風化されつつある今に恐怖を覚えました。
そして、伝えていくことの大切さを思い知らされました。
今回の活動で出会った現地の方々は、みんな協力し合い、
それぞれを思いやりながら生活をしておられました。
はかり知れない悲しみ、恐怖を抱きながらも、人々の支え合う姿勢がそこにありました。
つながりがあってこそ生きていられるのだと感じました。
そして、私たちもつながりを持たないと復興に協力できないと思いました。
もう住むことができなくなった家や、津波の水に浸ったままの地域など、
震災当時からまだ手がつけられていないところもたくさんありました。
私は今回の活動で、見たこと、聞いたことを、
友人や周りの人々に伝えていくことがまず私にできる一歩だと思いました。
このような機会があれば、また参加して、復興に協力したいと思っています。
今回の活動をサポートしてくださった教職員のみなさま、本当にありがとうございました。
【4回生/女】